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今を生きる LIVE NOW:露草日記

今を生きる LIVE NOW:露草日記

生きている意味。

自分が生きていていいんだろうか、思春期の頃から、そんな思いが自分の中にあった。そんな思いに駆られているので、どちらかというと内気な性格なんだと思う。
小学生の頃にいじめにあった。下校途中一人で帰り道を歩いていると女親分と言われていた勉強もできスポーツは万能で可愛いが少しばかりは勝気な彼女が仲間とともに石を投げつけてきたのだ。いじめられた子はどの子もそうなのだろうが親には口が避けてもいえない。玄関に入る前に家の近くの小川で顔を洗い親に涙のあとを悟られないようにした。
その頃の写真を見ると本当に暗い顔をしている。笑顔の写真は一枚もない。母が手縫いで作ってくれた水え玉のブラウスとショートパンツをはいているのだが悩み深そうな顔をしている。無邪気なすがたではない。
おうちが貧しかったのでランドセルはお下がり。皆真新うしいランドセル名の実私のそれは長男が使い兄弟が次々と使ってきたもの。こんなことがいじめの対象になってしまうのだ。
小学校低学年のころは楽しい思い出がない。脂ぎった給食のおかず。気味が悪くて食べられなかったら放課後まで居残りをさせられた。
先日ブログでいただいた言葉だが、今日一日生きられたことに価値があるという。小学校低学年のころはまさにこんな言葉の毎日だった。でも、死にたいとはおもわなかった。学校が嫌だともおもわなかった。不思議なことだ。
学校は好きだった。家が貧しかったこともあり、家族の一員として家族としての役割がしっかりあるのだ。朝は土間の掃除と鶏の水飼えと菜っ葉の交換、餌の交換。日曜日には兎の小屋の掃除、鶏小屋の掃除、自分が使った衣服の洗濯、家族の着替えた後の洗濯と取り込み、布団干し、畑の手伝い、山羊の餌上げ。等々たっぷり家族の一員としてやるべきことは多い。昼休み1時間くらい本を読めるのが唯一のリラックスタイム。親は早く眠れというので、布団の中で勉強をした。ラジオを聞きながら22時過ぎまで勉強した。子の頃の習慣で私の勉強方法はお布団の中でうつ伏せになって行うスタイルになった。机に向かうよりお布団でする勉強時間のほうが絶対長い。
学校がすきなのは、お手伝いをしなくても良いこと。学校は遊びのようなものだった。平日も土日も両親が子供の手伝いを期待している。平日が休みで土日は労働日だったとも言える。農家の生活はこんなもんだと思う。
小学校高学年になったとき、担任になった先生が私にも気を掛けてくれた。学校がとても楽しくなった。この先生に影響されて社会が好きになった。従軍慰安婦の問題や日本が東南アジアを攻略したことなど現代史に興味を持つようになり、青年海外派遣隊の活動を知り、自分も将来東南アジアの人々に協力ができるような力をつけたいと思った。


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